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創業以前

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明治期以前、私達は伊勢の桑名にて代々刀鍛冶を営んでいました。しかし1868年に戊辰戦争が勃発し戦火が広がって行きます。

そんな中、戊辰戦争の影響かどうかは定かではありませんが、初代久八がまだ乳飲み子だったときに父親が殺害される事件に巻き込まれたそうです。

事件を受け、母親が久八を抱えて大阪まで命からがら逃げ延びたのです。その後久八は、幼少期を大阪の鰹節商店で丁稚奉公として過ごすことになります。

1892年 鈴木商店創業

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丁稚奉公を終えた久八は明治25年の1892年に、当時の靭東通りにて鈴木商店を創業。現在でも使われる屋号「ヤマキウ」は創業当初から使われていました。

創業後すぐに頭角を表し始めますが、それと同時に苦労も絶えなかったそうです。

戦争による移転

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日本が戦争に突入すると、当初店を構えていたところに軍用飛行場が設けられることになりました。その影響で鈴木商店は現在の靱本町に移転を余儀なくされるのです。

今では当時の軍用飛行場は、テニスプレイヤーの大坂なおみ選手も試合をしたことで有名な靭公園として大阪有数の大きな公園に整備されています。

1945年焼け野原からの復興

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大阪では1945年の3月13日に始まり8月14日までの7回、アメリカ軍の大空襲を受けます。テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキスト

大阪鰹節類商工業協同組合の発起

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1986年ヤマキウ株式会社設立

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平成〜未来

メーカー機能の開発

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阪神大震災

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コロナ禍/食糧危機の中での弊社の役割とは

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参考文献

水の都

大阪流通史

鰹節(上下巻)